捏造された居合史の偽りを正す
『居合道正史』発刊 定価 50,000円
易水館館長の30数年の研究により「居合道」の正しい歴史が白日の下に曝される。
河野百錬先生の不断の努力の賜物として我々は居合の道を開いた。しかし、河野百錬先生をしても、居合の正しい歴史は明らかにできなかったのである。
河野百錬先生は、「居合道剣士が嘘は吐かない」と信じ、傍系居合の系譜捏造を鵜呑みにしてしまった。純粋精錬なる聖人の悔しさを誰かが拭わなければならないのである。
『居合道正史』 目 次
第一章
正統正伝系譜
傍系 列伝
第二章
土佐抜刀藝家林家 …注 伊勢流指南役
林家の門弟達 …生駒道之丞脩正・松井平兵衛誼正
武士の礼法 伊勢流…
第三章
土佐偽面仕列伝(傍系)
松吉八左衛門久盛
山川久蔵幸雄
下村茂市定
注山内豊健 大日本武徳会居合術教師 居合根元の巻
行宗藤原貞義
第四章
昭和の偽面仕列伝(傍系)
中山博道
加茂治作
山蔦繁吉
三谷義里
壇崎友彰
政岡一実
第五章
正統正伝二十一代宗家列伝
始 祖 林崎甚助源重信
二 代 田宮平兵衛尉業正
三 代 長野無楽入道槿露斎
四 代 百々軍兵衛尉光重
五 代 蜂川正左衛門宗続
六 代 萬野団右衛門尉信貞
七 代 長谷川主税助英信
八 代 荒井勢哲清信
九 代 林六太夫守政
十 代 林安太夫政羽
十一代 大黒元右衛門清勝
十二代 林益之亟政誠
十三代 依田萬蔵敬勝
十四代 林弥太夫政敬
十五代 谷村亀之亟自雄
十六代 五藤孫兵衛正亮
十七代 大江正路子敬
十八代 穂伎山波雄
十九代 福井春政鉄骨
二十代 河野稔百錬
二一代 平井一連阿字斎
第六章
日本における各藩の居合術との関係(徳川時代)
第七章
流祖と流派
第八章
無雙直伝英信流居合種目と柔術
第九章
武道と武術の違い
第十章
河野百錬回顧録より …
●『居合道正史』の販売に関して
現在、居合いに関する書籍が多数世に出ているが、捏造された文献を基にして書かれているため残念ながら多くの内容が、過ちを掲載している。河野百錬先生をしても歴史に関しては、捏造されたものを信じておられた。巧妙に捏造を行なった者を許すわけには行かない。
易水館館長が30余年に渡る古文書等の調査研究の結果、捏造が明らかとなった。この書が世に出ることで偽りの上に構築された偽物の居合は消え去る運命を与えられることとなる。
正しい物が残り、偽ったものが消えることこそが日本国の魂の導きであろう。
この書を入手ご希望の方は、事務局へメールにてお申込みください。メールアドレス 33q@goo.jp です。
『居合道真諦』
河野百錬稔著作・昭和三七年四月三日発行
十五、居合道の回顧(原文のまま)34ページ
思うに居合道も今日程多くの人々が盛んに熱心に研究する様になった時代は末だかって無いであろう。洵に喜ばしい事である。大正の末期迄の近畿地区の居合はわずかに伯耆流の大野熊雄氏、小石昌範氏、等の・・・
(省略)
日本刀も終戦で悲運に逢ったが、次第に生気を取り戻し、昭和二十九年にはその道の総本山とも云うべき全日本居合道連盟(会長は内閣総理大臣池田勇人)が誕生し、続いて三十一年には全日本剣道連盟付属の居合部が出来るなど、全国的に盛んになった事は洵に有り難い事である。
現在第一線に活躍する人々に左の主な士がある。(※原書での構成では左部)
流名 段位 氏名 住所 (36・11現在)
無双直伝英信流 名人位 福井春政 高知
十 段 河野百錬 大阪
〃 佐野茂徳 神奈川
無双直伝英信流 範 士 山本宅春 高知
省略
伯耆流 範 士 大野熊雄 京都
無外流 範 士 中川申一 兵庫
無双直伝英信流 八段教師 田岡 伝 高知(89人中前から20番目)
〃 〃 平井 一 東京
〃 〃 福井虎雄 岐阜
〃 〃 清水清俊 福岡
〃 〃 池田高市 大阪
無双直伝英信流 七段教師 山本春介 高知(89人中前から84番目)
全日本居合道刀法
形制定年月日 昭和三十一年十月七日制定
制定委員
編成された形の承認を得たる欠席委員左記
神伝流 範士 中山博道 (傍系)
柳生流 宗家 柳生厳長
一刀流 宗家 篠森順三
英信流 範士 政岡一実 (傍系)
以上により河野百錬編纂全日本居合道刀法は竹刀剣道(竹棒道)の剣士のために各流派の業五本を制定した。
前(英信流)、前後切(無外流)、切上(神道無念流)、四方切(水鴎流)、切先返(伯耆流)
以上の居合剣士の中に高知県出身者は宗家福井春政を除いて、たったの三剣士だけである。何処かの団体が論陣を張って無茶を言っているが、誠に嘆かわしい事である。
「第十七代目宗家・大江正路は生前十数人に免許皆伝を与えた」誰でも宗家を継げる為に準備していたと、それは戦争で戦死した場合の事であるそうです。誠に立派な論説であります。さらに、何でも大日本武徳会範士号は大江宗家より中山博道の方が早く、博道が格は上だと言わぬばかりでありますが、宗家たるものに範士号などはいらないのである。
この論説は日本の教育界並びに保健体育団体が歪曲した虚説で、暗誘するための偽計である。偽計通謀の発覚を恐れる団体の自己保存を目的とした曲学苦策の悲哀である。
傍系・博道は、正統十八代宗家穂岐山波雄が昭和十年二月の死亡後に、夢想神伝抜刀術を名乗り始めたいかがわしい剣士である。それが証拠に、本の友社の『近代剣道書選集10居合・杖道103頁、居合読本全中山博道校閲』では大森流・長谷川英信流を名乗っている。神伝流などの名称は影も形も存在しない。(昭和八年九月海軍兵学校編・同海軍機関学校偏)
大江正路は昭和二年四月に逝去されている。幼名は濱田十馬、嘉永五年十月十日、土佐郡須賀村に生まれ、幼少より武道に明け暮れ、慶応三年五月藩の旗本隊に編入され、山内容堂の御共に加わり京都に出発し、明治元年鳥羽伏見の戦いに出陣して奮戦する。大江正路十五才の時である。泉州境のフランス軍乱暴狼藉の為に土佐藩の守備隊発砲し、この責任を問われた守備隊数十人は屠復の憂き目にあった。フランス軍の「切腹を見たい」との要望による。この時に濱田十馬少年は現場に臨まれていた。
居合読本出版後援会発行
陸軍大臣
陸軍大将 林 銑十郎 閣下 題字
国 士 頭 山 満 先生 題字
前第一師団長
陸軍中条 森 連 閣下 題字
大日本武徳会範士 中山 博 道 先生 校閲
大日本武徳会錬士 太田 龍峰 著
子爵 山内豊健 の図解居合詳説 第八章 居合と技術の練達 「本の友社」近代剣道書選集10居合・杖道より。
294頁の中での山内豊健の「見苦しい極みである」と毎年武徳会の大会で居合を数本しか知らない先生方を観察して嘆いているのである。「先生方(範士)は、私の四二本の形を見るとその場を逃げ出した」と山内豊健は回想している。これは誰れあろう中山博道の事である。同資格者で四二本の居合中数本の居合しか知らない武徳会範士先生のいい加減な範士号が金とコネで売買されていた証しである。二本しか抜けないのが範士を名乗っていた。大日本武徳会のレベルが分かりそうである。レベルを上げたのは河野百錬主催の八重垣会の発展によるところが大きいのである。無双直伝居合の業の統一を阻んだのは中山博道である。神伝流抜刀術で妨害したのである。官憲と民間右翼を後ろ縦として君臨した。
陸軍大臣 林 銑十郎(渾名は越境将軍)と言えば昭和十一年二月二六日の事件を誘発させた本人である。
この原因を追ってみよう。事の起こりは、昭和十年八月陸軍教育総監更迭事件である。総監の真崎甚三郎は何の相談もなく総監の椅子を取り上げられ罷免された。真崎は単独で天皇へ上奉しようと諮ったが真崎は天皇に信任が無かった。真崎は陸軍士官学校校長時代の教え子たちを使い怪文書をばら蒔く。この時に軍務局長永田鉄山も怪文書で攻撃された。この怪文書を見た福山連隊付き剣道教師中佐相沢三郎は、軍務局長永田鉄山を局長室で暗殺した。昭和の長く暗いトンネルが発信されたのである。
相沢は陸軍戸山学校で抜刀戸山流五本を習得していた。半年後の昭和十一年2、26事件は勃発した。石原完璽と永田鉄山の満州五か年計画はこの事件で頓挫した。これはアメリカとの需給戦争を想定した計画であった。飛行機とトラック、重化学工業の軍事生産拠点としての満州五か年計画で日産自動車も参加していたのである。
石原完璽は戦略戦術の天才で、支那に於ける日本軍の不拡大を唱えていた統制派であった。昭和十一年2、26事件の陰の首魁前陸軍大臣大将荒木貞夫(皇道派)は「竹槍三千万本あれば米英おそるに足らず」の精神論ばかりで、何にでも“皇”の字を付けるのが得意であった。またサーベルを日本刀に替えたのが自慢の種であった。満州刀の大量生産を促した。荒木は日本刀の弱点、武器の弱点を知らない軍事官僚であった。目釘一本での刀は野戦における屠殺戦では使い物にならず、飾り物であり士官の指揮刀の役にしかたたなかったのである。
統制派の東条英樹首相も竹槍派で、天皇に対して「国民一億総動員の竹槍戦法で戦います」と“一億玉砕”を唱え、徹底抗戦を天皇に上奏した。「君、そんなことで大丈夫かね」と昭和天皇は訝り心配した。これが竹棒術の刈勉貴族達の戦略戦術であった。
この時代の軍部官僚、特に大日本陸軍は三長官の会議で陸軍大臣を決定していた。三長官とは参謀総長、陸軍大臣、教育総督の事である。彼等三人は、天皇が指名した新総理大臣が気に食わないと組閣を妨害する為に陸軍大臣を組閣に送り込まなかったのである。三人の官僚は超法規的ならびに超天皇制とを兼ね合わせた二つの権力を保有していた。さらにこの時の陸軍大臣は予備役から現役制と変更されていた。この歪んだ権力は憲政の常道である議会の機能さえ乗っ取っていたのである。この庇護の下に大日本武徳会は組み込まれていたのである。
我らが宗家、正統二〇代河野百錬先生は、若き日は大日本武徳会の居合術教師であった。この時代百錬先生は林閣下あるいは国士頭山満と親交があった。また傍系達人中山博道とも懇意であった。(百錬著書 居合道図譜参照)
この時に正統無雙直伝英信流居合指導要項を寄稿している(本の友社『近代剣道書選集10 居合 杖道』より参照)
(財団法人 全日本剣道連盟監修 中村民雄 編)
時に軍部の依頼により士官及び佐官クラスの為の居合立業九本を編纂して軍部に渡した。この居合が大日本抜刀法として我々に伝授されている。(百錬著書 居合道図譜参照)
百錬先生は、著書『居合道真諦』の文中の編で、傍系居合は何故に正統無雙直伝英信流の初伝を大森流と呼び、中伝を英信流と呼ぶのか不思議でならない面持ちである。『居合道真諦』34頁系譜抄 本系譜は傍系行宗貞義先生の門下故曽田虎彦先生の研究による。委敷は宗家発行系譜巻に記す。とある。正統11代大黒元右衛門より傍系松吉貞助が発生し分派として最後に中山博道が列記されているのであるが。これは真っ赤な大嘘で、百錬先生はこの時に傍系行宗貞義先生の門下故曽田虎彦先生の研究を信じて、傍系居合の陰謀に一服盛られてしまっていた。
「居合道剣士が嘘は吐かない」と信じ、貴重な資料として受け取った。先生自身が裏付調査をしなかった。正統派の歴代宗家は傍系居合の系譜捏造を鵜呑みにして今日まで信じて来ていた。 正に愚鈍剣士達であった。
土佐の国に料理人頭、大森六左衛門影虎なる人物は存在しない。
この大嘘は小生が発刊する「居合道正史」で詳しく解説するものとする。 以上
■歴史の証明

