二十一代宗家の嘆き
昭和50年、全日本居合道連盟分裂後の、ある道場での宗家の嘆きは、小生の脳裏から片時も消えさることは無かった。
「あの時、形を直して、統一してから連盟に入れるべきであった。それなら乗っ取られても構わない、誰が理事になろうと、納得だ。いろいろな無双直伝を見たが、正統派に優る居合は見たことが無い、こんな綺麗な居合はない。」
二十代宗家河野百錬が、昭和29年に全日本居合道連盟を結成した当時、全国から連盟参加の希望者が絶えなかった。「あの時に無双直伝を名乗る傍系居合全ての形を正統派の形に直して加盟させるべきであった、失敗した。正統派の居合が如何に素晴らしい居合か、後世のために統一できなかったことが残念だ」と、二十一代宗家が道場で語っていた言葉である。
数だけを頼んだ河野百錬先生の大失敗であったと、無双直伝居合形の統一はここに永遠にままならなくなった。正統正伝の形と傍系居合の形は永遠に統一されることはない。
まして、別形昭和の開祖神伝流もあれば、偽者宗家を名乗る宗家乱立となれば、後世に残す正統正伝居合形は永遠に残すことは出来なくなってしまう恐れがあるのである。
各人が勝手に業の解釈を取り違え、居合形は変形していく今日である。これを古流居合と唱え、門人は哀れにも取り違え、洗脳され、間違いに気が付いた時には後戻りができない状態に陥り、嘘が嘘を招き寄せ、珍問屋居合兵法とこき下ろされ、正流正伝居合も同じ珍問屋居合と同列に配置されるのである。
運よく正伝居合形と行き当たった幸運な人はラッキーといえるが、薄幸な人は何年も気が付かずズルズルと偽物居合に引きずられて、正統正伝の居合に巡りあった時には、時すでに遅し、切り替える勇気を持ち合わせていない。勇気ある者は極めて稀である。
幸いにも小生の易水館道場では、昭和50年時の全日本居合道連盟分裂前の居合形を頑固に継承している。全日本、大日本も、各々納得の行く形の名称を書き替え今日に至っているように見受けられる。
●ここに正流正伝居合形と傍系居合形の相違を少々解説してみる。
@ 正座に於いては膝を閉じる。これは急所金的を守るためである。また、足の親指は重ねない。指を立てる時に動作が緩慢となり敵に遅れをとらぬためである。
A 八重垣に於いては立ち上がらない。横一文字に抜き付け後、一歩前に出るときに目線を同じくして一歩前進。この時に立ち上がらないのである。立ち上がっていては、敵の動作に間に合わなくなるのである。
B 受け流しに於いては、正面の敵に対する受け流しであり、後ろの右足に体重を移動して、左足の踵を浮かすのではなく、前足の左足に体重を掛けたままで足の踵を浮かし、壁を解くのである。傍系居合は受け流しではなく、避け流しである。右足に体重を移動し左足の踵を上げた、おっとり受け流しと成っている。滑稽な受け流しである。傍系居合、神伝流は特に酷く滑稽なものである。四十五度の角度の受け流しは傍系居合土佐神伝流秘書と行宗の書き改めた技の解説である。
C 介錯は武士の切腹を伴う介錯でなければならない。傍系居合、神伝流の介錯は罪人の首切りで、刀身を相手に見せないように抜き、肩に担ぎ上げる動作は農民が鍬を担ぐが如く、血振るいは褌落としのようで土工居合と考察される。
D 追い風とは、敵を後ろから追って行くのであるが、傍系居合と神伝流では柄手を右腰に引きつけ、相手に忍び足でソロリと忍び寄り、横居合切りで、追い風とは呼びがたい。 追って行くのに、腰の左側にはみ出た鞘と鐺は不測の障害物と接触して、敵を追いかけることが出来ない。正統派では柄頭を身体の中心に於いて小走りに追跡する。序破急を忘れないことである。
E 神伝流の悪癖は柄手にあり。野球グリップと二度振り三度振りの右手主体の伝統で直ぐに判明する特徴である。後ろ背にくっつく剣の峰、静止の状態では隠せても、移動すると露見する悪癖。竹刀剣道の悪癖である。諸手上段振り降ろしの右手切りは一生直らない特徴である。(この悪癖は、試し切りにおいて刃こぼれと刀身の歪みを招く)
盗作物真似居合、我流居合の枠を出ない、傍系と神伝流
これらの違いは傍系居合神伝流秘書文政二年の山川久蔵幸雅述(目録、夢想直伝英信流)に行き着くのであるが。この流れを遡って見たい。
河野百錬居合兵法叢書傍系派左記より順を追って見ることにした。正統十二代林益之函政誠時代に山川の師である松吉が歴代宗家の伝書を十一代大黒より、盗みだし破門の憂き目にあった。盗まれた伝書を山川が引継ぎ、書き写し、書き改めた。山川はそこで夢想神伝流秘書と書き記し、大黒を十代と繰り上げ十代林安太夫を抹殺した。十代林安太夫に恨を抱いていた。恨みとは宗家相続に関する問題であろうと思われる。十代は十二代の伯父か父であり正統性を厳格に守った。伝書を密かに隠した泥棒軍団の先駆者と成った松吉は破門とされた。妬み嫉みは山川に受け継がれ、伝書改竄の張本人である山川は十二代宗家に山川自身を書き入れた。松吉、山川らの犯罪行為は証拠隠滅の為に歴代宗家の伝書を焼却してしまった。ここに土佐悲哀神伝流秘書が生まれたのである。後に重大な社会悪を招く、傍系乱立宗家の原点がここに発生する。
特に希少価値のある直伝柔術百本は七代英信により編纂されていたが、山川は解読できない柔術三十五本を書き写さなかった。この為に流祖林崎より受け継がれてきた貴重な柔術は六十五本と消滅してしまった。この書き改められた伝書は、明治の改革の廃藩置県を境に傍系下村派として擡頭してきた。
大正に入り、中山博道と結託してさらに正統派十七代大江宗家に対する恨み妬みを昭和から平成へと引きずってきた。この恨みの原因は中山博道に帰結する大江は博道の入門を断っていた。傍系へ博道を紹介した。博道の後ろ盾は、明治大正昭和の日本右翼の巨頭頭山満(玄洋社)の大立者であった。(通説では板垣退助となっているが真っ赤な大嘘で実態は頭山満で、日本古武道振興会の発起人である)
昭和25年に二十代宗家を受け継いだ河野百錬は、土佐に秘蔵されている伝書をかき集め、破門を分裂と書き改めた。時代は変わり戦後民主主義の下では、同じ居合人としては「破門と書くのは忍び難かったので、分派分裂と書き改めた」百錬宗家も元は剣道七段教士であった。
百錬居合叢書によると、正統土佐居合は松吉破門の後に三回の破門分裂を繰り返している。傍系居合下村よりの分裂は二回の分裂が繰り返されている。傍系が傍系を造り、これ即ち五派の傍系居合夢想神伝英信流が存在していることになる。居合形がまちまちな五派が存在して、細川から中山博道が変形した神伝流を合わせて六派の居合形が存在していることになる。正統派を別にして、六派の居合形が存在することを、何も知らない無知なる初心者は甚だ迷惑な被害を被ることになる。また、無双直伝英信流宗家を名乗る宗家が十四人以上は日本国内に存在している平成の時代となっている。
河野百錬無双直伝英信流居合兵法叢書は、昭和29年に編纂された。この時、河野百錬は「傍系も正統派も何等無双直伝に外ならない」と宣言した。ここに中山博道神伝流開祖の偶像の実態が暴露された。
この実態暴露の根拠に慌てた博道一派は泥棒軍団となり、松吉等の遺伝子を受け継いだ、傍系居合と神伝流は反省することなく、性懲りもなく、社会世論に対して中山博道の偶像のすり替えに奔走しだした。その第一期が、竹刀剣道OBの傍系居合、加茂冶作居合道入門さらに神伝流山蔦さらに傍系の三谷親子らの雑誌と書簡で国内世論に対してマスコミ報道操作を延々と続けることにした。日陰者の妬み辛みが繰り返され、スポンサー日本剣道連盟(影の支配者壇崎友影)が今日の混乱を招き寄せる原因を作り上げてしまった。 日本剣道連盟推薦の書物と書籍では、大江正路十七代以下正統派歴代宗家問題に口を挟み、横やりを押し通そうとして、無礼千判もはなはだしいのである。
二十代宗家を受け継いだ河野百錬が、昭和50年に死亡すると、軍団である傍系と神伝流はこれを逆手に悪用し、山川の、願望夢の中の宗家列伝による他愛のない遊びの日記である土佐神伝流秘書を剽窃して、中山博道(日本剣道連盟)の傍系居合宗家十五代、十八代、十六代と豹説して月刊誌剣道日本、昭和51、52年の連載で新たなる偶像化を急ぎ始めた。(写真掲載)
特筆されるは、真夜中の時間帯に居合神社に忍び入り、社殿内に掲額した“十六代宗家額縁”問題である。(この社は二十一代平井宗家一門の寄付によりで新築されていた)家宅侵入罪を公然と犯した。
平成に入ると、大江正路十七代を利用して宗家を捏造して、あたかも傍系が正統派であるかのごとく君臨している今日ではある。だが、幸いにも現代ではインターネットにより証拠を提示できるようになった。これでやっと正統派が陽の目を見るかと思いきや、このインターネットを悪用した泥棒軍団が宗家を名乗り詐欺師家元の天才が跋扈して世間を欺いている。さらに、日本剣道連盟は新たなる剣道居合形を捏造し他流の盗作で懲り固めてしまっている。
林崎開祖誕生より、四百五十年の歴史を有する、無双直伝居合は日本が世界に誇る日本の伝統文化である。この居合をぶち壊しに掛けている泥棒軍団の第一任者である本性を顕に醸し出したのである。
われわれ正統正伝居合を受け継ぐ良識ある居合人は、剣道連盟と傍系居合の国家に対する非道と不正義を許しては成らない。断固追求すべきである。
●道場だより特報
(一) 八重洲の本部事務所へ、一人の男性が尋ねて来た。 男性は前に居合を修行していたと「正統派の居合だ」と言うので、あっそうですかと小生は、では介錯の形をお見せ下さいと申すと、かの御仁は介錯の形を披露してくれた。その介錯は見事なもので小生もびっくりした。
「土方が鶴嘴を肩に背負うがごとし仁王立ち」
小生が「傍系じゃないか、みっともない土工が鶴嘴を背負った格好して」と語ると、御仁は嘘がばれて、恐縮して渋々名刺を差し出した。小生が「格調高い雅の精神を受け継ぐ正統正伝に直してやるから道場へ来るように」と促した。驚いた御仁は、正伝の介錯を見せてくれと頼むが、小生は「道場へ来たら見せてあげる」と言った。うさん臭い御仁は二度と現れることはなかった。探索と業の泥棒に来たのである。
(二)また別の日、黒門小学校に居合を見たいと、中年の御仁と若者が二人見学にやって来た。見学していた若者は我々の形と全く違うと、正統派の業に見惚れ「愕然として道場を後にしていった」中年の男性は「我々はむそう会」だと語っていた。この二人の特徴は眼を細め相手を威嚇するような「藪睨み戦法」で、傍系居合、神伝流の方々の特徴である。 これは武蔵の五輪の書に「遠くの山を望がごとし」目の付け所を解いているのだが、何を履き違えたのか、「目に霞を掛け藪睨み」を武蔵の教えだと勘違いをしているのである。
(三)正統正伝の居合に誘因された神伝流の老剣士は、神伝流の謎に疑問を感じて当館を尋ねてきた。初めに残心の動作について問うと「知らない」とおっしゃる。颪について「柄当」と「柄ののの字回し」の違いについて説明すると納得した。傍系神伝と正統正伝の違いに到達するまでに二十年の歳月を要する事となってしまった。この老人は入門を一人では決め兼ねて、剣友を従えて再訪問した。だが、勇気がなかった。人間の美徳である間違いを糾す権利を放棄した。神伝流開祖中山博道の亡霊に半生を呪縛され篭絡された悲劇の居合人であろうか。「ただ救われるのは、真剣を取り扱うことでよわい八十二年に達するも全く惚けない」この矍鑠とした身体、この喜び。これだけが救いの傍系剣士であった。ナマンダブ……
(四) 一人の壮年剣士の来客があった。正統正伝居合を見たい、見て納得したら入門すると、その後入会した。入会直後、小生は彼の初伝、中伝を見て、業の停止を宣言した。見る価値もない我流居合「神伝流か傍系か」と問い質すと傍系と答える。初伝から直すのでは無く“基本である落としからの再出発”である。可能べかな彼の勇気と変身。
小生は彼の初伝を拝見して愕然とした。練習生もみな愕然とした。余りの哀れさに、本人が真剣であればなおさらであった。写真解説では分からない傍系居合の眼前での居合形、形の流れの不自然さ不恰好居合での諸作身体には、流儀の掟すら見つけることは出来なかった。残心の動作、落とし、一切を理解できない、知る余地も無かった。当館において初めて知った。何年の歳月を要したことか……彼の孤軍奮闘に期待するものであるが正伝の流れ、会得できるだろうか迷へる剣士殿は……。
小生は傍系居合を見る度に「我幸運児」正伝との出会い、今は亡き師に感謝する。我が師は出自よく、二十四歳で満州(中国東北地方)の憲兵学校の校長に抜擢され、かの地で終戦敗戦を迎えた。戦後は尺八キンコ流の名取で、深夜ラジオ放送で流していた。また書道においては大家で、一筆三〇万円の価値が認定されていた。戦前の皇族方との交際も広く、まったく幸運児そのままの人生であったと思われる。小生が初めて師の後ろ姿を見た時の光景は「近づき難い、両肩に漂う霊気と殺気、呆然」と眺めていた。群衆の中の、一点の霊気と殺気。この光景は少年の日の尼崎体育館での、広場に現れた金剛禅少林寺拳法の創始者・館長宋道臣とまったく同種の畏怖の念を感じた二人目の偉人であった。
師は罪人の首を跳ねた人であった。「死ぬ時は観念して死ね、じたばたするな」「みっともないぞ」……死の悟りと……人生の生の喜びを解かれた逸話である。師はこのように人生を達観していた為に、回りに妬まれ、疎まれ、全日本居合道連盟副理事より突然に解任された。事前に何の相談も無かった。日本居合道会分裂これを起点に日本剣道連盟参加の居合道部の傍系神伝流と傍系夢想直伝の日陰者が歴史的差別を現代に持ち込み、歴史的恨を晴らそうと決起し、マスコミ報道を駆使した全国国民洗脳作戦が大々的に始まった。 昭和51年から平成16年の今日まで謀略は引き継がれているのである。
易水館は余す事なくこの歪みきった日本武道武術の一大汚点を全国民に知らしめ、糾弾する。我が国の民族と文化と歴史を破壊し、ネジ曲げる団体と巨悪は一刀両断を以て対処する。
以上