●道場の原点
道とは、義である人の路であると孟子は述べる、狭き路である。勇と義は武徳であると、新渡戸稲造は著書『武士道』で述べている。この為に武士は尊敬されたが故に、廃刀令以後は偽者が氾濫すると予言している。
露と消えた特権階級の武士は糧を求めて新政府の役人職へと殺到した。儒教思想を刷り込まれた武士は統治者(官僚)へと変貌して、官僚は国家の公僕であると詐術を用いて国民を国家経営へと永遠に導いた。
本来の道とは路、隘路である、狭き道なのである。路を知らない人は高速道路の道と勘違いしているのではないかと思われる。
社会科学者のマックスヴェーバーによれば、儒教思想は内面的品格品性を求めず、外面的な品格品性だけを求める。排外主義である。
内面的精神が確立していないため、他人の中傷、非難に耐えられず、右に左に狼狽える。常に他人の目を気にしている。何処かにこんな国家がある。
ここに言う、儒教に個人救済はないのである、集団救済を目的としている。国家の為にと美文で飾り立て国民を差別階級に組み込み奴隷国家として存続していく。我国も奈良時代に仏教が栄え、同時に儒教がもたらされ、儒教の翻訳は漢字に強い僧侶の専売であった。ここに仏教と儒教が結合した原因がある。当時の僧侶は国家に奉仕するだけの官僚である。我国に個人救済は存在しなかった。
聖武太上天皇の時代(724年)呪と禅の流行で、呪術によって招かれる仏の力は悪神を追って苦しみを除くことが出来ると信じられていた。呪の達人を看病禅師と言っていた。天皇の病床に126人いたと言われている。日本に禅を輸入したのは道昭で653年に遣唐使にしたがって入唐し、玄弉三蔵について学んだ。宮中には天智天皇時代(661年)の晩年から内道場と言う仏事を行う場所が髄、唐に習って設けられていた。禅院の修行から外へ出て山林へ篭り超自然的な経験を得ようとする修行が流行だした。
学問よりも、禅を修め呪験力を身につけた方が出世の早道だったと言われている。その代表が弓削の道境である。山岳宗教の本山、呪術の開祖、葛城山の役行者(えんのぎょうじゃ)が有名である。
禅、仏教は貴族の独占物であった。また科挙試験も貴族の専売であった。
我国の仏教が栄えた鎌倉時代に初めて個人救済が確立した。法然上人の男女を問わず救済に向けた活動が実を結び、我国の仏教繁栄がここに始まった。
熊谷直実も法然に救いを求めた一人であった。往生の美学を求めた。
ここに教団の形が出来上がり道場の原形が見えて来るのであるが、さらに禅宗の栄西は、支那より帰国後、叡山に弾圧され博多から鎌倉へ何を避ける。その後二代目頼家の庇護の下に、京都にて叡山との対立を避けんがために、天台、真言、禅の三つの宗派を兼ねた道場を開いた。ここに初めて武術の鍛錬場所、道場の語源を見つける事が出来る。道場とは仏教用語である。達磨の禅宗の発展はこの後の道元まで待たなければならない。「自給自足と清貧の清規(しんぎ)教団」すなわち道場とは、悟りの場である。
剣術の町道場の発展は江戸時代まで待たなければならないが。徳川時代に儒教朱子学は国教となり隣の朝鮮より朱子学が輸入され、士農工商が確立された。このため日本民族はこの思想が刷り込まれてしまった。そのために江戸幕府は生きづまり、なす術を知らず幕府は崩壊してしまった。
明治の新政府は世界に先駆けた農地解放、部落解放のチャンスを逃し、西南の役では、「越すに越せない田原(たばる)坂」ここに新政府は抜刀隊を組織するために会津の元武士達を募集して西郷軍に対抗させる事にした。戊辰戦争の敵討ちを慣行させた。歴史の皮肉を垣間見る事が出来る。官僚の怖さを知れ。
政府は不平士族の氾濫に怯え脱刀令に続く廃刀令による、剣術道場を禁止していたが。西南の役で剣術を見直し警視庁剣道が蘇る。この当時の剣道は投業あり、足払いあり、組み討ちありの荒稽古であった。今日の竹刀剣道とは隔世の間がある。昨今の剣道は第二次大戦敗戦後の三年間の武道禁止令より出発したが、突きは無くなり、右足踏み込で、左足踏み込みの業は存在しないルールがあり、逆小手、横面は存在しない、判定の対象とならないルール、300gの竹刀早手競争になってしまった。突き業の復活は最近のことである。保健体育の一環である。ストレス解消の奇声と足音の踏み鳴らしが特徴となってしまった。剣道世界大会ではお隣の韓国に追い越されて、引き分け、延長代表戦で辛うじて勝利を納めている。これでは朝鮮に剣道の起源は半島に有りと捏造されてしまうのである。
武術と残心
武術で残心と良く言われるが、敵を倒した後の心構えで残氣を意味している。居合術の教えでは、勝ちを制した後の納刀で刀を鞘に納めるまでの残氣残心である。気を緩めない、勝ち誇ってそこに心の隙が生まれるからである。
この残心と云う教えは、現代の個人の生き方。企業経営にも通じるものであるが人生の残心とは人脈、企業に於いては得意先(消費者)に通じる。
経済においての残心は、保険、定期預金、へそくり(箪笥預金)である。現代の残心無き人々は、利益誘導方政治家の経済優先に踊らされ、撒き餌に飛び付き、疑似餌戦術に飼い慣らされ、党利党略の予測がつかず、一時の景気の波で売上が伸び利潤が簡単に得られると、慢心し余計な投資に嵌まり倒産する。個人は所得が増えると、マイホームを人生最大の目的として生きる。家を得て子供を捨てる結果となる。ローン地獄、リストラが待ち構えている。残心を忘れた人生の悲劇が待ち構えている。悲劇を招き寄せたかである。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。戦わずして勝つ、最高の勝利である。
国家の経営者を疑似餌権力集団と決めてかからなければ個人も企業も犬、猫扱いである。訓練するとチャイムで犬、猫は涎を垂らす。官僚政治屋は怖い。
術とは無である
戦略戦術無き国家と個人は滅びる。術とは誇りが第一である。術とは実践である。実践とは無である。(クラウゼヴィッツ)
無こそ残心といえる。
剣と柔術
武士の戦いにおいて、剣折れて柔術が生きると言われるが、剣を抜きかけた手を掴まれた時、両手で取り押さえられたりした時、また二人に両方の手を取られたりした場合は柔術を体得していなければ一巻の終わりである。
小生は後者の方を指示する所以である。
武士政権後、武士はめったやたらに剣を抜くことが出来ず抜けば切腹覚悟でなければ成らなかった。この場合は当身、柔術を必要としていた。剣と柔術は一体でなければならないことがお分かり頂けると思われますが如何なものでしょうか。
小生が戦争においての戦闘心理の聞きかじりを伝えたいと思うが、戦争において銃撃戦が始まり、銃弾が尽きる。この後は軍刀が折れ曲がり武器としての役割を果たすことが出来なくなると、殴り合い、組み付き、最後には疲労困憊して柔術が役に立つと言われている。まさに総合戦闘術である。
この話は第二次大戦での満州国の日本人開拓団巡回中の若き憲兵隊員の幾度となく遭遇した、匪賊、山賊、馬賊との戦い中の屠殺戦の実践談話である。
「百人以上殴り殺したと本人は伝えている」隠れた武術家である。強い拳とは素晴らしいものである。万人がこの強い拳、鉄の拳を持ち合わせている訳がない、持って生まれた資質と弛まない鍛錬が造り上げるのである。
持ち合わせていない人達はどうすればよいか、真剣を抜き振り、柔術を極めるしかないのではないか、と小生は断言する。
現代においては法律により武器の携帯は許されていない。おのが身を守るには逃げるか、戦うか、柔術しかないようである。凶器に対する防御は、空手、柔道、剣道にては対処できない、鋭利な武器に慣れ浸しみ、武器の運行の法則を自得し会得しなければならない。
第二次世界大戦での日本軍の強さの秘訣は敵国アメリカが一番知り抜いている。戦場における兵士の心理は微妙なもので、敵に対して銃の引き金を引けたアメリカの兵士は一割五分であったと言われている。総合戦闘術が訓練されていなければ弾切れの恐怖に銃の引き金を引けないと言われている。
ベトナム戦争において、アメリカの兵士は一割しか目前のベトナムの兵士に引き金を引くことが出来なかった。国を守るとは大変な事が実感できる。
戦争は政治の延長であり、貿易、経済であるとクラウゼヴィッツは明記している。さて近代戦争はまさに科学の消耗戦、科学に長けたものだけが勝利する犬の遠吠えは通用しない。平和とは机上の空論にしか当てはまらない。
武器は常に進歩する。科学も常に進歩する。古武術者は武術の限界を知らなければならない。銃弾など受けたり避けたり出来ないのである。相手の気を察知するだけである。