神伝流の構造と歴史

 公武合体、体制奉還を成し遂げた。土佐十五代藩主山内容堂の孫山内豊健は正統土佐居合人の記念写真の一人として、正統正伝十七代宗家大江政路子敬の後ろに正座し、泰然と写真に収まり気品ある好男子である。(大正十二年夏於山内候爵家庭前)この記念写真には、十八代穂岐山宗家、十九代福井宗家も石庭に腰掛けているのであるが。
 この年中山博道は五二才と成っていた(明治五年生まれ)月刊日本剣道によれば前年の大正十一年八月に細川より免許皆伝を授かっていたと言われている。ここを起点として中山博道と傍系居合神伝流の関係は始まって、大正、昭和、平成と悪徳の関係は一世紀近くも互いに利用し利用され綿々と続いているのである。宗家乱立の起爆剤として、下村派傍系居合道神伝流は着々と謀議を凝らして、山内豊健を正統正伝十七代宗家大江政路子敬の後継者十八代宗家と捏造し。今日の居合道界を混乱に陥れ、剣道青少年とその父兄および日本国国民を欺いているのである。
 山内豊健は存命中は京都に十年間在住し居合の種を撒かれたそうである。その後は東京に移られ居合の種を撒くも、昭和二一年一月十日に岐阜に於いて病没したそうである。
 この一人の正統派(谷村派)の土佐の居合人の流れから二つの宗家が雨後の竹の子のように生まれい出た。一人は池袋の山内派宗家二一代。二つ目は京都から加茂の河原の葦の如く、ふてぶてしくインターネットで二一代川久保龍次、二二代佐藤知三と宣言し、東京池袋は二一代関口高明と名乗りビデオ販売で傍系居合が正統派を名乗っているのである。関口は無双直伝英信流として唯一人日本古武道協会(全剣連配下)に加盟している。
 この宗家捏造は潟Xキージャーナル販売、月刊剣道日本の中山博道十五世十八世十六世説をそっくり模倣したモデルである。中山博道のように居合神社に16代の額縁こそ掲げていないが、居合ビデオは販売している。「これは居合ではなく剣術の類いと評価されている」居合とは言えず騙り居合、毒素居合であると思われる。居合道の正しい歴史を知らなければ居合愛好者はこれを無双直伝英信流と誤認してしまう。「始祖が命を掛けて考案した流派の掟は悪臭居合に汚染されていく、流祖林崎甚助重信は草葉の陰で嘆き悲しんでいるであろう」
 15代藩主山内容堂の墓は東京都品川区東大井四下総山墓所に存在している。七代英信と八代荒井勢哲の墓所は江戸に有るのか土佐に存在するのか興味をそそられる話である。
 墓標が無いないと言われた剣豪、一刀流開祖の伊藤一刀斎の墓は最近になって、南品川2の8の23に存在すると紹介されている。

 さてここらで巨悪の実態に迫ろうと思いますが、証拠を上げる前に、各文献の比較分析を序章と致しましょう。

文献1 昭和二九年、無双直伝英信流居合叢書 著者名人位十段 河野百錬正統第二十代宗家
   第一編  土佐居合兵法神伝流秘書文政二己卯之歳十一月吉祥日 山川久蔵幸雅述
   「山川久蔵幸雅の系譜列伝」
   第二章 居合兵法伝来(原文の儘)
   初代林崎甚助〜中間省略〜九代林六太夫守政〜十代大黒元右衛門清勝〜十一代松吉八左衛門久盛〜十二代山川久蔵幸雅と列記記載されている。(叢書12頁参照)また正統宗家列伝参照。
  注意:個々で注意すべき、山川久蔵幸雅の系譜を吟味すると正統派十代林安太夫政羽を抹消して、大黒を第十代に繰り上げているのである。大黒は正統派の十一代に該当する、この後の十二代より分派する十二代は林益之亟政誠、ここより傍系松吉八左衛門久盛は別の道(破門なのか、脱退なのか、許されて分派なのか資料がない)松吉の弟子山川が十代林安太夫(十二代の親)を抹消した原因が後の問題となる傍系居合の発祥の原点となる事がここに存在する。宗家争いが起こり宗家を継げると踏んでいた松吉は負けたのである。師の無念さを十代抹消で晴らしたのである。この時点から傍系居合が密かに神伝流として始まったのである。
   「傍系列伝」戦後の居合道アナーキーの発生原因となる。
   傍系は12代山川久蔵幸雅(神伝流)〜13下村茂市定政〜14細川義昌〜15中山博道とくる。ここに中山博道の15世説が存在する。(剣道日本1976年10月号写真)
   「山川の目録には無雙神伝英信流とありこれは本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之を称して英信流と揚げられたる由也」結ばれている。
  注意:中山博道は大森流を名乗った後に昭和六〜八年頃より開祖夢想神伝流抜刀術と名乗っていたが、その根拠が居合叢書昭和29年により覆される。注意:昭和平成の宗家の偽者はこの神伝流秘書を元に始まった。(中山モデル)
   中山博道は約二十一年間に亘る期間を神伝流開祖として日本古武術界を欺き続けていた事になる。

   「河野百錬傍系派左記」列伝叢書113頁、
   1、正統十二代大黒よりの分派 ◇松吉貞助久盛〜山川久蔵幸雅〜下村茂市定政〜行宗藤原貞義―益田虎彦。
   2、正統十五代谷村よりの分派 ◇楠目茂次成栄〜谷村樵夫自庸〜土井亀江。
   3、正統十六代後藤よりの分派 ◇森本兎久身―中山博道(18世根拠説)中山博道の弟子達はこれを認めない。
   4、  傍系の下村よりの分派 ◇細川 義昌〜植田平太郎〜緒方郷一。
                同 ◇片岡健吉益光。
文献2 愛隆堂発行昭和四十三年十二月十五日、著者加茂治作居合道入門(無双直伝英信流)
   大江正路の孫弟子と記載し、山本晴介の弟子と唱え、正統派を唱えている。
   加茂治作は剣居教師で戦前朝鮮に在勤し警察官をしていたそうである。
   三谷範士共々も剣道歴の持ち主で中山博道の信奉者である。二人の出版書簡の居合を分析すれば御両人全くの同じ傍系居合形であります。特に介錯は下村派の特徴であります。
   「系譜列伝は正統派を記載」
   系譜においては大江正路から穂岐山、福井宗家を紳士的に記載しているものの、「何分大江先生の場合は何の遺言も無かったと」正統宗家問題に注文を付け今日の宗家乱立の先駆けを予兆している内容である。
   さらに文献3と同じく、22頁に「細川先生に土佐居合を学び、ついに夢想神伝流を完成された中山博道先生の功績は、ともに長く光を放つものである」と開祖として説明している。細川からの16世をも予測している。
  注意:加茂教師が師匠と唱える山本晴介氏は大江正路の弟子ではなく、十八代穂岐山宗家の弟子である。十九代福井春政鉄骨の同列である。さらに十九代宗家の同列は、甲田盛夫、山本宅治等である。(百錬傍系左記参照)
   七段教師の加茂治作氏が宣言する大江正路の孫弟子云々は欺瞞で加茂氏は穂岐山宗家の孫弟子になり、全く根拠の無い話で加茂氏は経歴詐称である。「これは中山モデルである」
             (平井阿字斎居合道秘伝系譜列伝参照)

文献3 愛隆堂発行著者山蔦重吉、夢想神伝流居合道、(出版年月月日不詳多分34,5年頃と思われる) 
   山蔦氏は明治三十九年横須賀海兵団入団、大正十一年海軍予備役編入。大正十二年中山博道の門生となる。昭和三十四年居合道範士、同三十九年剣道範士となる。出生地宮城県岩出山町に地元の有志と弟子達が立像を建設してくれたそうである。制定居合小委員会のメンバーである。
   「山蔦氏の系譜列伝」での居合系譜は大江正路の後は穂岐山、福井らに受け継がれていると紳士的に説明はされているが、だが正統十七代に大江正路と同じく森本兎久身に正統十七代を与えて、二人の正統派宗家を記載し正統派が動揺し混乱するように嘘を記載して、正統派の信用失墜を誘発している。逆にいえば全剣連の剣士を洗脳する為の策略も含んでいる。如何にもこの後の嵐が来ることを予感しているようである。また大江正路と森本兎久身に対する怨念を感じさせる内容である。(後記に解説)
   「山蔦氏の傍系系譜列伝」
   初代を林崎甚助〜中間省略〜十二代から谷村派と下村派に分ける。
   十五代細川義昌―十六代中山博道開祖を傍系下村派十六世とここで初めて公に宣言する。三人の宗家を記載して宗家乱立の「中山モデル」の事始めを唆している。
   勿論中山博道を神伝流の開祖として高らかに宣伝し奉っているものの、無双直伝英信流下村派十六代と銘記している事と相矛盾するが、これが氏の行動規範である。(16〜17頁参照)
   また氏が正統十七代と捏造している森本兎久身は正統十六代後藤孫兵衛の弟子で正統派より跳散し傍系へと鞍替えしているので、正統派の十七代宗家ではありません。これは「中山モデル」ではないでしょうか
   ここに初めて、山蔦氏により中山博道16世説が突然に発表されたのです。
   「神伝流開祖であり下村派傍系居合16世への乗り換え、綱渡りを公開する」

 中山モデルの回覧版日本を駆け巡る。

注意:昭和五十年翌年より危篤状態だった正統二十代宗家河野百錬没
    全日本居合道連盟三派に分裂ここを期に翌年の五十一年からスキージャーナルは月刊誌剣道日本に高野三佐武郎と中山博道を組み込み十月号で昭和の剣豪と昭和の剣聖中山博道と宣伝し、「中山博道を神伝流十五世と写真掲載して」意図的に居合道界を混乱させる。剣豪高野三佐武郎はいい面の皮である。迷惑な不名誉な当て馬件引き立て役とされた。
    正統派は怯え、その一方で何も知らない居合剣道界は嘘を刷り込まれ、正直な国民国家もまた嘘を刷り込まれた。この工作に異議を唱えた居合人は誰一人表れなかった。心の内では煮えたぎっていたことであろう。堪え難きを絶え、忍び難を忍びの黙念であった。
注意:昭和五十二年九月号月刊誌剣道日本は居合道特集を組み入れ。中山博道が板垣退助の紹介で、夢想神伝流十七世、細川義昌に大正五年十二月頃入門を許された。この時博道四五才で剣士の盛りは過ぎていた。板垣退助は七九才で死ぬ三年前であったことになる。板垣は明治三十三年1900年に政友会を造り政界を63歳で引退このとき博道28歳である。板垣と会えるような歳ではない。引退後板垣は事業活動を展開し大正八年死亡(1919)82歳であった。参考まで。
    細川義昌は自分一代で絶えようとしていた夢想神伝流を博道に伝えたことで安心したかのように他界した。そして「神伝流十八世を受け継いだ」(以下は新居合術入門四参照)そして開祖として生まれ変わったそうである。昭和五十一年〜昭和五十五年まで四年間「中山モデル」は日本国家を駆け巡ったのである。
    最後には壇崎範士制定居合メンバーの解説に依れば神伝流の内容は、初伝大森流、中伝英信流、奥伝立技は林崎甚助の立技であると公開して内容を暴露した。
    何の事は無かったのである。流祖が命を賭して、また二代目田宮平兵衛業正が命を賭けて考案した実践の技を博道先生は盗み、業を変形させ実践業から程遠い非合理的な傍系居合をさらに変形させ独創的な「中山モデル」を業においても完成させたのである。何の事は無い傍系居合下村派の盗作であった。曲学阿世の御仁達であった。
   注意:剣道日本1977、九月号に林崎流居合の系譜を掲載(細川〜中山博道掲載宗家番号無)

文献4 昭和55年六月居合道秘伝 著者名人位十段 平井阿字斎正統第二一代宗家
    「平井阿字斎正統系譜列伝」
    林崎甚助重信流祖〜中間省略〜十七代大江正路
                 〜跳散(森本卯久身〜中山博道18世根拠説)
    十八代穂岐山波雄〜十九代福井春政
           同−(跳散◇甲田盛夫、山本春介、山本宅治)
    二十代河野 百錬〜二十一代平井一連阿字斎
      (跳散竹島寿雄)  (跳散◇清水清俊、中垣雅司、池田昴孛、福井虎雄、畑島正)
    「正統派分裂列伝」
    福井虎雄氏は全日本二十一代を名乗り、二十二代宗家を池田隆氏が継いでいる。
    清水清俊氏は日本居合道連盟の二十一代宗家を名乗る。
    列記の通り二十代宗家河野百錬までは各自が道理をわきまえ、一糸たりとも乱れることは無かった。
    だが分裂前のスパイ合戦で懐柔され、昭和51年からの剣道日本の宗家捏造の「中山モデル」林崎居合神社額縁事件と全剣連居合道部が金に糸目を付けないマスコミ操作の勝利であった。それは中山博道の欺瞞を何が何でも押し通すごり押しをやり通した制定居合小委員会の範士たちの直伝工作であった。
    「平井阿字斎傍系系譜より」
   ◇下村より細川 義 昌〜植田平太郎〜緒方郷一。
                  〜中山博道
   ◇下村より行宗藤原貞義―益田虎彦。
              〜中山博道
   ◇下村より片岡健吉益光。

文献5 梶@スキージャーナル発行所、著者三谷義里範士九段の詳解居合無双直伝英信流。
    1986年、昭和61年七月十五日発行人森田親男
    書簡の最後の皆伝書昭和四十年(山本晴介作成)大江正路子敬直門山本晴介署名捺印、三谷範士殿と正統性を訴えている。後に解説。
    三谷範士の自説によれば山内豊健の弟子で、大正十三年中山博道の弟子となる。この他に五人の師を挙げている(七頁参照)戦前は朝鮮に在勤、朝鮮農業学校の剣道教師をしていたそうである。
    居合系譜は大江正路までは認め後の穂岐山、福井、河野、平井らの存在は無視している
注意:山本晴介は大江正路の弟子ではなく、十八代穂岐山の弟子である。十九代福井春政鉄骨の同列である。十九代の同列は、甲田盛夫、山本宅治等である。この二人は注目に値する「中山モデル」の踏襲者です。
    (河野百錬傍系派左記参照)(平井阿字斎居合道秘伝系譜参照)
   注意:「三谷義里範士九段の系譜捏造の足跡」分派すればすぐ宗家の悪習
    林崎甚助重信流祖〜中間省略〜十七代から。
    正統十七代大江正路
    ◇分派 森本兎久身〜竹村静雄注(中山博道を抹消18世根拠説消滅)
    十七代大江正路〜森繁樹
          同〜穂岐山波雄注(実態は正統十八代)
          同〜政岡壱實(十八代宗家と捏造)八頁参照(制定居合のメンバー)
          同〜鈴江吉重
          同〜山内豊健(山内派二派宗家を捏造東京、京都)
          同〜甲田盛夫(穂岐山波雄十八代の弟子を十八代宗家と捏造、一代繰上)
                                                  八頁参照
          同〜山本春介(穂岐山波雄十八代の弟子を十八代宗家と捏造、一代繰上)
                                                  八頁参照
          同〜中西岩樹
          同〜植田平太郎(傍系 細川の弟子、捏造、植の上違い)
            (上田は中山博道と同格)
    「傍系下村派三谷義里範士系譜列伝」
     下村茂市定政〜大江正路〜中山博道(捏造、実態は断られた、大江の両派説の根拠捏造)後に解説
          同―15細川義昌―竹村静雄
                 同〜中山博道―植田平太郎(中山の同列を捏造)
                      同―橋本統陽
                 同〜広田広作
     下村茂市定政〜行宗藤原貞義―益田虎彦(実態は中山博道が同列とされる)
 文献5の最後にある頁の皆伝書昭和四十年(山本晴介作成)は見事な私文書偽造である。これが剣居一体を唱える団体の範士ら道術者の行動規範である。「国破れて嘘士あり」なんとも感慨深い概念であろうか。

文献6 潟Xキージャーナル 全日本剣道連盟居合(新版)監修(財)全日本剣道連盟 平成二年五月二十日発行
   「全剣連系譜列伝」
   正統谷村派列伝
   林崎甚助重信流祖〜中間省略〜十七代 大江正路、十八代 森本兎久身と流し。谷村派十七代は大江正路で後は、穂岐山、福井、河野と受けつがれと記載されているが。森本兎久身を十八代と記載している。山蔦は十七代と記載し、宗家捏造が更なる捏造を蔓延させている。
   傍系下村派(神伝流)
   林崎甚助重信流祖〜中間省略〜十六代中山博道と記載され、11頁に現代居合道の始祖と詭弁を弄し、昭和八年から「夢想神伝流」を打ち立て世に出したのである。と説明している。
   「中山博道モデル」の完結編を決定づける全日本剣道連盟居合雑誌である。
注意:以上の文献に因る、全剣連居合関係者が作った宗家は、中山博道を筆頭に森本兎久身そして三谷範士が作った三人、山之内派から二人と、さらに神伝流宗家も出現している今日、計八人である。すべて無双直伝を悪用し名乗り林崎甚助を元とする。
    現在日本には正統派を名乗る宗家を列記したら何人の宗家が存在するのか。この先直伝の威信は失墜し消滅するのではないだろうかと危惧するしだいである。
   全剣連居合は人間形成の道と唱えているが机上の空論と終わるであろう。居合普及発展を妨害するものである。「分派に宗家なし、開祖は初代なり」

 全剣連関係者の功罪瞞著雑誌
 文献2、愛隆堂発行昭和四十三年十二月十五日、著者加茂治作居合道入門
 文献3、愛隆堂発行著者山蔦重吉、居合道、夢想神伝流
 文献5、梶@スキージャーナル発行所、著者三谷義里範士九段の詳解居合無双直伝英信流。
 文献6、潟Xキージャーナル 全日本剣道連盟居合(新版)監修(財)全日本剣道連盟
「神伝流中山博道だけが居合であると固定観念を植え付ける目的」

武道界のアナキー雑誌としての役割

 未だにこの四冊の書簡は何回となく再発行され、入れ替わり立ち代わり社会に毒を垂れ流し、健全な国民と青少年を深く洗脳し、傷つけ、日本古武道界を蝕んでいく日本最悪悪書として抹殺されなければ成らない雑誌である。嘘を捏造して利益を得れば詐欺行為である。また欺の宗家を語り世間を欺き弟子を騙し月謝会費を集めると詐欺行為となる(博道モデルとなる)

相矛盾する範士らの論理説

 直門山本晴介なる人物は大江正路の直弟子と三谷範士は文献5で記載しているが、実態は正統十八代穂岐山の門下で三谷範士は文献4平井宗家の居合道秘伝の系譜を悪用したと見受けられる。簡単な証拠は傍系居合だけである。三谷範士、加茂治作、山蔦重吉三人の居合形は同類の枠から抜けきらない。老害居合で居合の業とは言い難い書簡に出来るものではなく、直伝居合英信流に対する冒涜である。
 傍系三谷範士は大江正路宗家を下村の弟子に位置付けし傍系の正当性を唱えているが、何も無理して夢想直伝英信流を名乗ることはないと思うが、下村の神伝流秘書が解き明かすように「無双神伝流」を何故名乗らないのか摩訶不思議である。傍系関係者の大江宗家は傍系も正統派も両方修行したと言われる論理に固執するのか不思議でならないのである。長年に渡る傍系居合神伝流のコンプレックスを感じざるを得ないのであるが。
 下村派居合と唱えだしたのは明治期に入ってからであると思われる。廃藩置県、士農工商が廃絶されてからである。武士社会が崩壊して、傍系居合下村派の名乗りを社会全体が咎め立てしなくなったからである。正統派は中山博道に警戒し、差別されていた傍系派は中山博道に取り入り利用させた。神伝流開祖を黙認して、傍系居合16世に認定した。
 神伝流では日本全体に通用しない。神伝流の場合は関東の剣道関係者が無理やり押し込まれ弟子に事欠かない。
 「谷村派を正統正伝と百錬先生は銘記し、下村派を傍系と銘記して、今日の確たる証拠として生き続ける限り、日本居合道会の将来は、傍系居合が中山派と大江派の二つの流れに逃げようと熱望しても、歴史的事実が得心しないであろう。「その一つが何の根拠もない大江正路は傍系も学び正統居合両方を学んだと唱える論説である」さらに中山博道を写真掲載で夢想神伝流十五世から訂正し十八世、最後に十六世と捏造した月刊剣道日本スキージャーナルの国家国民に対する宗家偽造は重大な社会問題である。
 最初は中山博道は神伝流の改組と弟子たちによりマスコミで称賛されながらも、文政二年山川久蔵の「土佐神伝流秘書の秘密目録が証明する神伝流の日陰の処遇、直伝を名乗れなかった事実、これは長谷川英信公の流れであると遠慮がちに記載されている」ことなど、系譜の抹消に見られる秘密主義、時代の徳川絶対主義、土佐と言う土地柄の上士、中士、下士に分けられた現実、武士の内面の階級闘争、後の種族闘争として現れる。土佐藩に既存したおこぜ党と対立する土佐勤皇党がそれぞれである。
 これが下村派の実態である。傍系居合の長年に亘る卑劣な行為から判断すると、直門山本晴介署名捺印、三谷範士殿と正当性を唱えている免許皆伝書は偽造文書の謗りを逃れることは出来ない、死人に口無しの悪用で流祖と大江正路に対する冒涜であり、正統派に対する妬み根性である。
 「分派、開祖というものは何々派初代である」勝手に宗家を名乗れば死が待っていた時代である。百錬宗家が昭和に入って古文書を明らかにし、それを傍系居合が金の為に悪用しただけである。

 傍系居合の悪乗り(英信流、己の流派を疑え)

文献5、スキージャーナル発行著者三谷範士九段の詳解居合無双直伝英信流の記載に依れば正統十八代穂岐山宗家を無視して、三人の十八代宗家が紹介されている。これは意図的に捏造記載され社会的混乱を招きよせている。正統十八代穂岐山宗家以下の宗家を冒涜して、正統正伝居合に対する敵対行為である。5頁の「推薦のことば」に財団法人日本剣道連盟会長剣道範士大島功氏以下二人は制定居合委員の紙本栄一剣道居合範士(全剣連相談役)ならびに高知県剣道連盟居合道部長居合道範士沢田友信氏、さらに特筆するのは「序にかえて」の文章で居合道範士横川節氏の挨拶で氏は三人の居合道宗家を八頁に記載している。三人とは「夢想直伝英信流十八代目甲田守男」「同十八代目政岡壹寛」「同山本春介」と記載している。これが博道以下五人目の宗家である。

注意:「代」と「目」のカラクリにご用心

 このスキージャーナル発行著者三谷範士九段の詳解居合無双直伝英信流の発行は著者三谷義里範士九段の死後に発行された書物である。責任の所在を暈した卑劣な行為である。
 ここで確かなことはこの出版物は誰が発行したのか幸運にもはっきりしていることである。この書物は全剣連会長推薦文の四行に「月刊剣道日本編集部から出版されることになった」と説明されている。また紙本栄一剣道居合範士(全剣連相談役)の説明では月刊剣道日本に連載されたものが発刊の運びになったと記載されている(六頁)
 この三谷義里範士九段の図書は月刊剣道日本によって全国の居合剣道愛好者の目に止まり彼等は感激したのである。小生も同じであった。虚偽の文献に感激させられ洗脳されたのである。
 また心あるものはその欺瞞の影に控える組織に怯えていたのである。

白昼の陰謀

白昼なりふり構わぬ陰謀はどこから始まったのか以後文献解析。
 1、文献3愛隆堂発行著者山蔦茂吉の夢想神伝流17頁文末に中山博道は昭和八年より「夢想神伝流抜刀術」と称えられた。開祖したと言っている。この図書も全く同じで文献2愛隆堂発行昭和四十三年十二月十五日、著者加茂治作居合道入門と論説はなんら変わらない。何故同じ出版社から発刊されたのか、何を目的として目論んでいたのか。知りたいものである。
 昭和二十九年正統二十代宗家河野百錬は無双直伝英信流居合兵法叢書にて、土佐神伝流秘書を紹介した。「文政二己卯之歳十一月吉祥日」山川久蔵幸雅記述「無双神伝英信流居合兵法」この一級資料により、中山博道の神伝流開祖の根拠は覆された。「嘘がはっきりしたのである」
 百錬先生は門弟二千六百人いたと言われている。昭和六年に八重垣会をすでに結成していた。この居合叢書は百刷限定で一般の人の目に触れることは無い、居合人でもなかなか手に入らない。運よく小生の手元に入ったのは死後二十六年の歳月を要した。
 昭和四十三年三月に全剣連制定居合は発令されている。文献2と3の書物は正統二十代宗家河野百錬の一級資料土佐神伝流秘書に対する反撃であったと受け取ることが出来る。全剣連を後ろ盾とした強引な横槍であった。「正統派から何人か裏切り者がいたはずである」昭和の特徴である。無秩序アノミー現象である。
 中山博道は昭和三二年に死亡している。死ぬ前にはこの秘書により嘘がばれて肩身の狭い思いをしていたものと伺うことが出来る。中山博道は石川県の出身で神道無念流の根岸信五郎の養子となり有信館道場を譲り受けていた。この道場は火災に遭い消滅した。放火説もある残ったのは看板だけである。これでは神道無念流の宗家となることは出来ない。
 大正年間土佐へ赴いた博道は大江正路を尋ねたが見るだけで教えて貰えず、下村派の傍系へ回された。大江は中山の腹の内を知っていた。博道は表に出さないと細川義昌に一筆入れて約束したそうである。その約束を守らず昭和十二年京都武徳殿で居合を披露した。このような人格者であった。弟子達の行動を見ればハッキリと分かる。師が師であれば弟子も弟子である。似たもの同士である。
 博道の弟子達は、河野宗家が理事長を勤める全日本居合道連盟の分裂を目的として、2と3の文献で攻撃を開始した。昭和四十九年細工は隆々、同五十年全日本居合道連盟は三派に分裂した。
 昭和五十一年月刊剣道日本10月号に中山博道夢想神伝流十五世と写真掲載される。白昼の謀略が惣然と開始される。官憲を後ろ盾とするマスコミを使った攻撃。呆れて物が言えない謀略を開始した。

神伝流の特技

 中山博道が考案したと言う神伝流の特徴は、刀の柄を握る手が野球グリップである。右手と左手の間が密着して空間隙間がないのである。宮本武蔵の五輪の書では、柄手の手の間は指二本が理想と書かれている。剣を振った後の残心には一番適していると思われる。居合太刀打の形、寸止めに適応しやすい、古来からの柄手である。
 中山博道は大正年間板垣退助の紹介で細川義昌を照会され土佐居合の研究をはじめた。剣道人としての盛りを過ぎた博道は大日本武徳会を盾に、最初正統十七代大江正路を尋ねた。大江宗家は役者のような美男子で恰幅よく貫禄があり、小柄な博道は貫禄負けしてしまった。この当時大江宗家は剣道教師として中学校の剣道の指導に当たっていた。この時学校の門番をしていたのが傍系居合行宗貞義であった。行宗は下村の弟子で細川の同列とされている人物で、実態は行宗が十五世の可能性がないともいえない。
 大江宗家は博道に初伝大森流を見せるだけで業の指導はしなかったと紹介されている。指導しないと言う事は博道に何かを感じていたから指導しなかった。竹刀より重い物を振ったことがない剣道人は真剣を振れば床にたたき付けてしまう、床を傷つけてしまう、刃零れしてしまう、危険この上ないのである。現代もそうである。竹刀を真剣と勘違いしているのである。剣道人は物を大事にしない、それは竹刀の扱い方にある。粗雑である。竹刀は安価であることが原因している。竹刀の五倍の重量を寸止めするということは修練を要する、でなければ出来ない芸当である。
 博道は盛りを過ぎた竹刀剣士である。大江の紹介で門番の行宗貞義を紹介され、行宗は初伝だけを指導してくれた。体力のない博道は中伝まで進むことが出来なかった。技量がなかったものと思われる。森本兎久身に教えを請うても初伝大森流しか教えて貰えない。中山博道の意図は土佐居合人に見透かされていたと思われる。
 博道の悲願とする目的は達成されなかった。この目的を引き継いだのが弟子たちであった。ここの弟子達のマスコミを使った昭和の正統派攻撃に繋がっていくのである。アナーキー攻撃が始まるのである。居合の歴史改竄、歪曲、文化破壊まさにアナーキー現象である。博道モデルの原理がここにある。
 傍系神伝流の山川久蔵幸雅が師の恨みを晴らすために神伝流秘書で十代宗家林安太夫政誠を系譜列伝で文書抹殺した行動科学と同じパターンを博道の弟子達は繰り返ししたのである。特に制定居合少委員のメンバーたちが博道モデルの実践者であった。金銭的援護者が全日本剣道連盟であった。剣道連盟発行の全日本剣道連盟居合、居合道歴史にて中山博道が神伝流開祖を打ち立てたと確定している。これから博道モデルを受け継ぎ実践していく後継者は全国に五万といる。居合剣道愛好者の子供たち、小中高大学の剣士たちが受け継いで行くのである。文部科学省のお墨付きである優良保健体育団体がである。
 中山博道の師であった傍系居合の行宗貞義と森本兎久身は大森流しか教えてくれない。土佐の地で初伝から進むことが出来なかったために、大森流を昭和八年まで名乗るしかなかったのである。
 専門家でない細川義雅を板垣の紹介で尋ねたと言われているが、果たして板垣の紹介なのか甚だ疑問である。
 中山博道が板垣退助の紹介で、夢想神伝流十七世(実態は四世)細川義昌に大正五年十二月頃入門を許された。この時博道四五才で剣士の盛りを過ぎている。この時板垣退助は七九才で死ぬ三年前である退助は明治三三年1900年にきっぱりと政界を63歳で引退している。博道28歳である。大正八年82歳で死亡(1919)

 中山博道十五世説の根拠

 傍系山川久蔵幸雅の神伝流秘書を参考に悪用しただけである。剽窃した結果が十五世中山博道であった。〔剣道日本写真掲載〕十代抹消に気が付かなかった。

 中山モデルの後継者たちの文献

 大江正路と細川義昌は認めるが、森本兎久身と行宗藤原貞義を絶対認めない訳は何故なのか。
 1森本兎久身を師と認めると中山博道は18世となる。森本は十六代後藤孫兵衛の弟子で宗家ではない。
  注意:全日本剣道連盟が森本兎久身を正統派18世と捏造記載すると中山博道は19世となる。
 2行宗藤原貞義を師と認めると学校の門番の弟子となる。行宗でも16世となるのであるが。行宗は下村の弟子。
 3細川は政治家で世間体ていがいい、板垣退助の話もつじつまが合い、16世となる。
 4大江正路をなぜ利用するのか。正統派十七代で偉大であること。中山は大江の弟子と三谷範士が捏造していることさらに三谷は大江宗家を傍系下村の弟子としていることで三谷範士自身の傍系居合の劣等感を払拭しようと目論見でいる意図が明白である。
 三谷範士は居合系譜の師弟関係を一代繰り上げ、何等根拠のない擬似宗家を三人も勝手に作り上げ世間に撒き散らしたのである。無双直伝英信流十八代目甲田守男、同十八代目政岡壹寛、同山本春介等である。甲田は十八代穂岐山の弟子で山本も同じである。三谷範士が捏造した三宗家の現実は千歳に残る悪徳である。
 注意:我々が不思議でならないのは三谷範士が中山博道について「先生は一度も16代宗家を名乗ったことはない、居合神社に16代の額が揚げられている」とだから先生は16代と言うのである。額は誰の手によって揚げられたのか、三谷は知っているようである。まさか神様が揚げたわけでもあるまい。犯人は以上の資料で分かるものと思います。
 政岡壹寛は一切の文献に登場しない人物で、紹介は制定居合小委員会メンバー六人に登場しているだけである。
 正統派にも中山モデルは浸透している。師を裏切り宗家を名乗る「分派というのは初代であって、神伝流初代は松吉貞助久盛で二代目山川幸雅で三代目下村定政、四代目が細川義昌、五代目中山博道である」中山博道が開祖と言うなら初代である。二代目は誰なのか分からない。
 戦後中山博道は薄幸で生活の面倒は弟子達が支えていたといわれる。その弟子達が博道を利用し、金儲けに奔走した結果が今日の「中山モデル」を造り上げた。その一番の責任は日本剣道連盟である。弟子の卵たちは腐るほど剣道界にいる。その弟子を取られたくない為に工作した結果がこのアナーキー現象を生む結果となった。
 日本古武術を敬愛する愛好家のための一編の糧となれば幸いであるが、流派は名乗っても宗家を名乗ってはいただけません、国民の皆さん似非宗家に気を付けましょう、無双直伝英信流を名乗る偽居合道に気を付けましょう。精神は歪み、口では道と精神を説き明かし、押し付け、二説相反する大矛盾。骨までしゃぶり尽くす、講習講習の(財)全剣連居合道、中山博道モデルの後継者たち。特にアナーキー雑誌と居合ビデオを製作販売する潟Xキージャーナルの文献には気を付けましょう。会費が安価と思い門生になり、気が付いた時には捏造系譜の弟子と成っている。最後には自己責任となるのである。
 最後に正統派直伝英信流居合形の業を基本として、奥伝、中伝を徹底的に習得する事によって、業の組み合わせによって業は波及し、番外編とした業が確立されていく、業の波及効果である。流派の神髄がここにある。
 これを履き違えて新しい流派を派生させることははなはだ疑問である。      以上