日本剣術の起源と発祥
日本剣術の発祥は朝鮮であると、インターネット上で世界に向けて宣言しているチョチョン族の優越意識に対して、最近真っ向から反論する書物が刊行された。その書物によると朝鮮族の伝統文化捏造は民族の習性であると論説されている。
世界史の上から独立国家として独立したことはなく、元朝モンゴルに二十九年間統治されその後明、清に二百年以上も属国となり、古代から常に宗主国は支那大陸で千年に亘る。臣下として存続し、独立国家として自立したことは皆無である。その後日清戦争により清の轡は解かれた。ロシアに付くか日本に就くかで、日露戦争が勃発し日本が勝利した。一重に下級武士の孤軍奮闘による二〇世紀の奇跡であった。尚武の国日本のなせる実力であった。この結果朝鮮は日本に併合された。
武を野蛮だと蔑む文地国家、儒教の机上の空論、朱子学の実践倫理と言っても所詮は世界の趨勢に取り残された空論であり、諸外国を戎敵と蔑むだけで国家の戦略戦術も無く、差別体制を維持する事のみに奔走し、武術武芸をなおざりにした結果であった。
このような国家に剣術が育つ筈も無く、歴史的古文書も存在しないのである。千回に渡る他国の侵略を受け続け、なす術も無く、濃奴はその旅に役所を襲い公文書を焼き払った。三国史記も日本の古事記に遅れる事二〇年、尚文国家を謳歌する国家の恥さらしもここに極むる体たらくであった。
その朝鮮に古代から野蛮な剣術は発生する筈も無く、朝鮮の武術は伝統的に弓だけで
イトンム、バクチェガらが編纂した武技書「武芸圖譜通志」(ムイエドボトンジ)の序文には「朝鮮当初の武芸ハ、射ノ一技二止マリシ」と記録されていると紹介されている。また他の文献「朝鮮王朝実録」には「我国、古ヨリ剣術、伝ハラズ。我国ニ剣手ハ絶無ナリ。イワンヤ推ルニ国人、槍剣ニ慣レズ。専ラ弓矢ヲ業トシ以テ禦敵ヲ為ス」と記録されている。朝鮮の科挙試験の武科実技は騎馬、弓、槍であって、剣術を欠いていたそうである。剣術を侮った史実が立証するように、日本の武士のように、直径三寸弱の鍔を盾とする民族精神、鍔者は存在しなかった。鍔が鍔者を招き、つわもの、兵の語源となったのは奈良時代である。(日本史より)
朝鮮には、民族の盾となる下級武士は育まれる素地が国家の底辺に芽生えなかった。
荒山徹新潮社十兵衛両断12頁によると、朝鮮が剣術を初めて見たのは豊臣秀吉の朝鮮出兵の時であるそうな、援軍に赴いた明の将軍に乞うてこれを学習したそうである。腕は上がらなかったそうである。血統である。武芸を蔑視する盲文主義の結末であった。
朝鮮は日本刀(倭刀)を輸入して、軍国の銃器として奉った。そして日本刀工に弟子入りして造剣技術を修得した者もいたが朝鮮には剣は根付かなかった。
ここに朝鮮半島剣道起源説は荒山徹氏の書簡により覆った。歴史捏造文化破壊の国内諸団体と似た者同志である。この国は柔道も朝鮮経由と宣う(サンケイ新聞より)
支那の明国「武備志」巻八六に「長刀ハ倭奴ノ習ウ所、故ニ初メテ之ヲ得タリ・・・」(荒山徹新潮社十兵衛両断303頁)
影流の目録が猿の図入りで載せてあると言う事である。「この目録は倭冠の海賊が戦闘中に懐より落とした巻き物であった」
当時の支那、朝鮮の刀剣は短く、長刀と言えば日本刀であり、朝鮮兵の軍刀は一尺七寸三分と規定されていたそうである。
対馬の大名宗氏はアヘン戦争後、朝鮮に対して火縄銃(種子島)五丁を贈呈して、自国で鉄砲の製作を促したが朝鮮は鉄砲を鋳造しなかった。世界に遅れし文明開化に乗り遅れた愚文国家であった。国家として世界に誇れるもの何も無く、五体千字文をもたらしたワニ氏は支那人であるそうな、ここに捏造された剣道朝鮮説の盲虚は一見落着と相成りし。
荒山徹氏はさらに、日本国家の階級差別、士(上士、中士、下士)農工商、非人、穢多族、夙、八分の一頭身の起源説は朝鮮国にありと示唆する。文治国家が日本にもたらした弊害は徳川朱子学に尽きると断言する。
氏の書簡84頁四行目。治世ノ龜鑑ハ朝鮮ニアリ。
と言うのが家康のかねてからの口癖で、善隣友好のためでなく、「剣ヲ使ワズシテ民ドモヲ奴隷ノ如く従フル」朝鮮王にあやかりたいという狙いからだった。事実、家康は朝鮮から導入した朱子学と、朝鮮に学んだ被差別民制度を社会の根幹に据えて、徳川三百年の平和という美名の、恐るべき身分差別国家を造りあげた。
その朱子学を取り入れるために徳川家康は太閤殿下の墓を暴き朝鮮を納得さした。
(92頁)朱子学は日本の国教となった。油断も隙もない朝鮮民族である。
残心道易水館 平成十五年七月二九日作成